襲名披露のご挨拶【プロスキーヤー 佐々木徳教】

全国のフリースキー愛好家の皆さん、ICELANTICSKIファンの皆さん。
今回、ICELANTICJAPANと〝エグゼクティブアドバイザー〟ってよくわからんネーミングの職に就任いたしましたことをご報告と、どういった経緯でこの肩書になったのかを簡単に説明しようかなとシーズンが終わって魂の抜けかけ全身ボロボロ中年真っただ中のわたくし〝佐々木ヨシミチ〟が重い腰を上げキーボードを叩く指が攣りそうになりながら書いております。

まずは自己紹介
ICELANTJAPAN ホームページによりますと…「ザ レジェンドプロスキーヤー」
から始まり~
“北海道出身のプロスキーヤーで、独自のスタイルとテクニックは現役コンペテターまでもがリスペクトするレジェンドスキーヤーである。FWQをはじめとする国際大会などでのジャッジ活動やパークプロデュースも手がけている。そして、その圧巻の滑りは見る者を魅了し、憧れを持つスキーヤーがあとを絶たない。圧倒的な技術とセンスを活かしICELANTIC JAPANのエグゼクティブアドバイザーとして就任。フリースタイルスキーの楽しさを伝え広げていく。”
~だそうで。
こりゃハリウッドザコシショウばりの誇張がふんだんに散りばめられた過去史上最強にステキに紹介してもらっています。

わたくし佐々木ヨシミチ
北海道民特有の「2~3歳からスキーを…」って年齢からスキーをはじめ、親父の弟が当時プロスキーヤーってのがあり、あの時で言う 山スキー 今で言う バックカントリー に早々とデヴュー。
小学生の時には結構ちゃんとした山で一人遭難するって事件起こしながら親父に言われるがままアルペンスキーを高校生まで大した成績もなく続けるって試練の時代を過ごす。
この時は本当につらい時代で気持ちなんかまったく入ってなくスキーが好きというより辞められなくやらないといけないって感じ。まったく楽しくなかった。人見知りだから友達も少なかったし。笑
このアルペンをやっいてた時にすべての「軸」になるスケートボードと出会うのですが…この話は長くなるのでまた別の機会にでも。

高校卒業と同時にスキー辞めるつもりがひょんなことからモーグルって謎の競技に誘われやってみるとそこにオレの居場所を見つけるが「まとめている団体」やその体制が嫌になりさっさと選手を辞め「TEAM GAGANDO」ってテレビの仕事に誘われる…

オレの人生は大体が誘われて始めてるってのがこういう文章書くとわかる。
いい言い方すると流れに身をまかせるって感じ。笑
このテレビの仕事で プロとして何をすべきか?どこに向かうのか? ってのを思い知らされ
誰かのものじゃないカッコ良いを決めるのはオレ自身だ」ってのに気づく・・・ってこの話も長くなるのでまたの機会に。

そして!
テレビがなくなり佐々木徳教として活動するも何のタイトルもなく燻る時代が長い事続き・・・30代にしてなぜかやってきた「スケートライク」って言葉とともに急浮上していく訳です。
そこから浮き沈みしていますがやっていることは何も変わらずただ「カッコいい」と「楽しい」だけを追求してスキーし続けています。

今回の「エグゼクティブアドバイザー」ってのも ただこのカルチャーが始まった時から今まで先頭でもなく最後尾でもない第三者的な冷めた場所から見続けてきたからこその知識があるって事なんだとおもっています。
オレがもしHPで紹介されたようなスーパースターならどっかの有名ナショナルブランドと契約してよくわからん事やってたんだと思うのね。笑
ここはくすぶって燻って 燻し銀な 自分でよかったって思えるところかな。

本当のカッコいいを追求し続けた長い道のりの先にあったのが
誰からも相手にされず、ただ自分が想った理想のスキーをやり続けて
泥臭いまでに追求したことに価値があると「エグゼクティブアドバイザー」って職まで与えてくれたICELANTIC JAPANのメンバー達がいたってのが本当にうれしく感謝しかないのです。
オレが恩を返す方法はただ一つ 「スキーは楽しい」 ってことを老若男女様々な人達に伝える事だとおもってるんです。
だってそれ出来るのって・・・たぶんオレしかいないでしょ??笑

佐々木よしみち
ICELANTIC JAPAN エグゼクティブアドバイザー

May 19, 2019/LIFESTYLE/

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